川上未映子『きみは赤ちゃん』

楽天電子書籍クーポンの期限が迫っていたので、何気なく購入した一冊。「妊娠・出産がテーマかあ、わたしには程遠い話題やわな」なんて思ってたけれど、気がつけばわたしもこの夏には24歳になる。親しい友人たちも結婚するだのしないだの話をしているし、ついこの間は友達の結婚指輪の下見になぜか同伴するという経験もした。そして、奇しくも24歳とは、母が父と結婚を決めた年齢なのである。

結婚も出産も今のところ全く考えておらず、むしろ自分にそんなものが降りかかってくるなんて想像もつかない。ただ、選択肢としては確実にそれらは存在していて、かつ大半の女性が経験するものについて、触れないでいないわけにもいかないと思い、「まあクーポンでタダやし」と関西人のケチ属性を発揮しながら読んでみることとした。(川上未映子作品は元々めっちゃ好きです)

読んでいて何よりもまず思ったのは、これを川上未映子の息子さんがいつか大人になって読むことがあれば、きっときっと嬉しいんじゃないかということ。それくらい愛にあふれてる。もちろん、妊娠中の不安や戸惑い、ストレスなどなどが時に真剣に時に冗談めかして書かれている部分も多くあるけれど、それでもなお息子さんへの愛であふれてて「この子のためなら死ねる」「この子の何歳までをわたしは見られるんやろう」という言葉には、私自身の母のことをふっと思い起こされた。

わたしも小学四年生くらいのときに、自分の部屋のクローゼットから偶然自分の母子手帳か育児手帳なるものを見つけ、もちろん書いた本人である母に隠れて、内緒で夢中になって読み耽ったことがある。個人的な話になってしまうけれど、よその家と比べてみてもうちの母はかなり娘であるわたしのことを好きで心配して溺愛している(と言っても昔はめちゃくちゃ怖かった、愛ゆえ?に甘やかされることがなかった。今思い出しても相当怖いオカンだったしまあ今もその気はある)と思う。その手帳はすごく細かく書かれていて、私自身はほんまに何にも覚えてないけど、母は(きっと父も祖父母も)(祖父なんてわたしが生まれたときに「おれの宝や」なんてビックリしてしまうほどのジジバカ発言をしたらしい。今もしてるけど)すごくすごくわたしのことを愛して育ててくれたのだなと、嬉しいやら照れるやら感情が忙しかった。

川上未映子本人は、産むことを「親の勝手」ということをすごく繰り返して述べていて、その身勝手を乗り越えてでも、息子である「きみ」にとにかく会いたかったのだと、そうとしか言えないといった旨を書いていて、なんかお母さんって大変で難しいけどあったかいな。友達が子どもを産むことになったらこの本を贈りたいなと思った。

読み終わって、ほわわわと何とも形容しがたい気持ちになっていたところに、仕事を終えた母が家に帰って来たので、川上未映子がああだこうだ言ってたことを思い返しながら話しかけてみた。

「なあなあ、わたしとか弟産んだとき、母乳あげるのに睡眠不足になったりした?」
「は?」
「なったりした?」
「粉ミルクの人は大変かもしらんけど、別にわたしは母乳であげてたし、弟のときにはもう夜とか寝ながらちょちょちょーってあげてたわ」
「(ええ……)じゃあ抜け毛とかあった?髪の毛抜けたりした?」
「は?そんなもんなかった。あんた何を読んでんの?漫画か?」

とまあ、現実はこんなもんだった(まあ二十年以上前の話なわけで、忘れてることも多そうやけども)。


前回の記事を書いた後に、なんやかんやで就職が決まり、大阪を離れることになったのだけれど、母がずっといじいじしてる。寂しい寂しいと言い続けていて、そのタイミングでこの本を読んでしまったので、なんだか少し居心地が良くないような(一切そんな素振りは見せてないけどな!)。でも、親に愛されている事実を久しぶりに深く深く感じることができたので、それを忘れずにいたいなーなんて思ったのでした。

懲りない

長い文章の書き方を忘れてしまい、なんとなく心機一転したくなって、はてなブログを開設した。今まで心機一転を理由にどれだけのブログを作ってきたのかわからない。タンブラーだけでも5つくらいアカウントがある。ツイッターのアカウントも7つ8つある。もし私が明日死んでしまったらあれらが一生残るのかと思うといくらか空恐ろしい。定期的に整理する方がいいのかもしれない。

 

けれどもいつ死んでも仕方ない。比較的(という言葉を使っていいのかわからないけど)死について考えていることが多くて、しかし当然ながらこれといった結論を導き出しているわけでもない。導き出すつもりもない。ただ、死を意識しながら生きていないと生きていけない。この世を真面目に受け取りすぎるには、ここはあまりにも不条理なことが多すぎるから。「いつかは死ねる」「死ぬという選択肢もある」と考えるだけで生きていける。(と書くと自殺願望、もっとライトな言い方をすると希死念慮を持っていると思われそうだけれど、そんなものはない。生のための「死への意識」だから。積極的に生をやめたいのではない)

 

考えが定まらない中で、内定を持ちながらまだ就職活動を続けている。自分でも正直もうよくわからない。完全に大手病の後遺症を引きずっていた。やりたいことは勿論あったし、良いなあと思う会社だってあった。2つ、本気で憧れていたところがあった。そこで働けないと判ってからが、本当の意味で将来について長く長く考えるようになった。いつもそうなのだけれど、考え過ぎると思考回路がショートして、でもそれでも考え続けて、1つ答えを導き出せたと確信をしても「やっぱり違うかも」と、また他の答えを探そうとする。そして再びわからなくなる。全くもって楽観的ではないけれど、悲観的というにはまだまだ希望も持っている、中途半端な場所でああでもないこうでもないと悩み続けている。自分でもいい加減に落とし所を見つけたいと思いながら、頭が痛くなってくる頃に「どう生きても最後に在るのは死だから」に落ち着く。極端だと人は笑うかもしれない。でもそう思うことで私は私を束の間だけでも救うことができる。

 

将来、なんて言うけれど、その将来だって正確には何年残っているのかわからない。きっと後になって「あっちを選んでおけば」「なぜこの選択肢が頭に浮かばなかったのか」と悔やむ日だって来るかもしれない。とにかく今はまだもう少しだけ考えようと思う。振り返ってみれば、今までの二十数年間の人生は何だかんだで第一希望が通って来た人生だった。みすぼらしい挫折も美しい成功に塗り替えてこられた。今回はどうなるか見当もつかない。ただ、いずれにしろ最終地点が死であるならば、どう生きても同じ。うまくいかないもどかしさも乗りこなしてみせたい。生のための死を武器に、とはいかなくても、私はまだ私をどうにか生きていこうと思う。